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待ち侘びて 湯張るその音は とうとうと 聴き惑ふにや 訪なふ音と
<読み>
まちわびて ゆはるそのねは とうとうと ききまどうにや おとなうおとと
<意味>
[あなたが来るのを] 待ち侘びながら張る湯の音は「とうとう [やってきた]」と聴き惑ってしまうのだろうか、訪れた音と [否、そんな事はない]。
<解説>
恋人の訪問を待ちながら、浴槽に湯を貯めている。その音は、恋人の訪問を告げる音と聴き間違えてしまいかねない。恐らく、そんな叙景を詠んだ歌である。
第2句と結句におなじ文字「音」が登場するが、語調と音律を考えると、前者は「ね」後者は「おと」と詠むべきなのだろう。
第4句「聴き惑ふにや」は、ハ行四段活用動詞「聴き惑ふ」連体形 + 格助詞「に」 + 係助詞「や」で、反語に解釈する。訳文は”聴き間違えるだろうか、いや、聴き間違える事はない”と補って解釈する。
つまり、寒空を歩んでいる筈の恋人の為に、湯を張るその行為に、矛盾点があるのかどうか、他にすべき事があるのではないかと、作者は逡巡している、そんなニュアンスになるのかなぁ、とぼくは解釈しているのだが。