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はる立つ日 経脈辿るは 掌の皺の てくびのさきで たち惑ふ吾
<読み>
はるたつひ けいみゃくたどるは てのしわの てくびのさきで たちまどうわれ
<意味>
立春の日に手の皺の経脈を辿ってみて手首の先に [辿り着いて] 立ち惑っている私 [がいる]。
<解説>
つい先日、年があらたまったばかりの記憶があるが、昨日が節分 (Setsubun) で明けた今日は立春 (Lichun) だ。ここに春 (Spring) と謂う文字が躍ってるが、まだまだ寒い。そんな日に手相 (Palmistry) をみるのは、来るべき春 (Spring) に待つモノがあるからなのだろうか。
自身の手相 (Palmistry) を辿って手首に辿り着いたと謂う事から、この歌の主題が生命線 (Life Line) である事が解る。恐らく、その線の長さや曲線のカーヴが自身の来し方行く末を思い起こさせたのだろう。
個人的には、手相 (Palmistry) に限らず占い (Fortune‐telling) と謂うモノは、カウンセリング (Counseling) の一種だと思っているので、そこで占者に語られた事よりも、占者に語った事の方が大事なのではないかと、考えている。
と、綴ると誰かに怒られてしまうかな?