by たいとしはる feat. =OyO=(2006-02-11 11:06:28)
>和歌之介さん
東宝の怪獣達は、生物というよりも、荒ぶる神々だったり、大自然の脅威だったりしますからね。
人類の善悪の彼方にあるべきものが、人類と遭遇してしまったが為に起こる不幸を描いた作品が殆どです。悲劇は、人類が不可触の領域を侵犯したが為に起こります。
だから、怪獣は絶海の孤島から、荒れ狂う大海原から、大鉱脈眠る地の底から、無限の彼方の大銀河の彼方から現れるのです。それは、我々への警鐘とも言えるでしょう。
そういう意味においても、アイヌの音楽や日本固有の土俗的な音階に精通していた故人が、これらの作品に関わったのは、必然の産物とも言えるでしょう。
by 和歌之介(2006-02-11 01:36:03)
>勇壮果敢なシーンに流れる音楽にも、後の悲劇を予見される悲しい旋律を潜ませてある
ぐっときました。
正義を、より「正義」に見せるために悪役の存在はとても大きな意味を為す。正義をより「正義」に見せるために、悪役に感情移入させてはいけない。そういうふうに作り手は作っていることでしょう。
でも、彼らの最期を「悪が滅びてよかったね〜」ではなく、命が絶えることには悲哀や悲惨さがあるということを伊福部音楽は教えてくれていたのかも知れないですね。