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彼れに逢ふ 兆しふ吉か 爪のわる そがゆん手を 握り被ふに
あれにあう きざしふきつか つめのわる そがゆんでを にぎりおおうに
<読み>
<意味>
あの人に逢う。不吉の前兆なのか 爪が割れる その左手を 握り覆って [思うには]。
<解説>
ある日、ある時、なんの前兆もないままにある器物が破損する。よくある事である。第一に、なんの前兆もないままとは謂いながら、実際にはどこかに予兆が潜んでいるモノだ。悪く謂えば日頃の点検ないし確認が至らないだけの事である。不測の事態 (Contingency)
とはよく謂ったもので、その発言の裏には責任回避と謂う自己保身がないとは謂えないだろう。と、ここで一体、ぼくは誰を論おうと謂うのだろうか(笑)。
閑話休題。
ところで、そんな叙景は物語にはよく登場する挿話である。自身の愛する人、もしくは大切な人、さもなければ近親者の、愛玩物もしくはその人物が自身に贈与した器物が不意に破損する。この挿話、所謂元ネタ、原典はどこにあるのだろうか。何となく我が国独特の挿話であって、果たして海外にもあるのであろうか。つまり、そこにアニミズム (Animism)、付喪神 (Tsukumogami) 的な信仰が横臥している様に思えるのだ。