タイトルはフリーペーパー『R-25』の記事タイトルからで、本題とはあんまり関係ないかもしれない(ダメヂャン)。
例によって、音楽出版権(著作権)の基本的な理論とか、実際の管理形態や運営状況について考えさせられる事がしばし。
音楽出版という名前の通り、元々は、形のない音楽を、楽譜というメディアで販売するという処からスタートした法理論/法体系だから、新しいメディア(レコード、放送媒体、インターネット)が登場する度に、ぎくしゃくしてしまうわけです。と、いうかそういう新しいメディアが登場する度に、どうやって権利者を保護して、ビジネスとしての体裁を整えられるのか?っていう問題なんですけれどもね。
例えば、己の使用しているauの、LISMOキャンペーンでは、平井堅や宇多田ヒカルの新曲が無料ダウンロード出来ちゃうわけで、世間一般のヒトビトにとっては、音楽って、お金で買うものって認識は低いんぢゃないかしら?って、思いっきり落ち込んでみたりする。そういう状況下での、「どうやって権利者を保護して、ビジネスとしての体裁を整えられるのか?」ってこと。
音楽はこんなに溢れかえっているのに。否、溢れかえっているからこそかもしれないのだけれども。
例えば、その昔は日本の音楽産業の規模は豆腐産業と同程度とか(豆腐産業って何よ?って思うけれども、昔々は、町の豆腐屋さんが朝早くから自宅兼工場兼販売店鋪で作って、夕方にはチャリに跨がって「♪ぺ〜ぽ〜」て売り歩いた、あんなイメージかな?)。バブル華やかなりし頃にも、日本人が一年間に買う音楽ソフトは平均CD4〜5枚とか。一見、華やかな世界の様でいて、無茶苦茶、産業としての規模のこぢんまり感はなんなんだろうね?ってずっと思っていましたが。個人的には、その落差感がさらに大きくなっている今日この頃です。
つづく。