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『ドラえもん』の声優が一新されて、もう随分な時が経過した。
だけれども、個人的には大山のぶ代がドラえもんでなくなった事の驚きよりも、藤子・F・不二雄の"マンガ"が"アニメーション"としてきちんと再現されている事の方が、新鮮であると同時に、感動的だったと記憶している。
藤子・F・不二雄独特の、登場人物の身体表現や動線、感情の表現力とその描写方法が、余すところなく、声優陣が新体制となったと同時に、アニメーションに導入されていた。
それが何なのかは、具体的にここで描写するのは難しい。もし、その"藤子・F・不二雄"なるものを知りたければ、手許にある「コロコロコミック」とTV画面上の『ドラえもん』を首っ引きで観倒すよりも、非ドラえもん作品(例えば、『藤子・F・不二夫SF異色短編』の様な、"藤子・F・不二雄"のパブリック・イメージから最も遠い作品)とTV画面上を見比べて、その共通項を捜すとよいと思う。
という事を前提にして『"ドラえもん"ののび太たちがイメチェン!』というニュース記事を読む。
例えば、『ちびまる子ちゃん』の物語の設定は、作者さくらももこが実際に生活した昭和40年代の清水市だ(その清水市も平成の大合併でイマはない)。
例えば、『クレヨンしんちゃん』の物語は、架空の関東近郊の街?春我部(≒春日部市)で時代設定は"イマ"だ。
それでは、『サザエさん』は、どうなのか?
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