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2005年04月27日

尼崎列車脱線事故

昨日から、報道/情報番組はこの事件一色になった。
週明けの月曜日は本来ならば、中国反日デモや、与党自民党内部での郵政民営化騒動や、補欠選挙の結果や、それらを踏まえての 5年目を迎える小泉政権の行方や、バチカンでのカソリックの新法皇の就任や、ヤクルト古田敦也選手の 2,000本安打達成(勝てない巨人とジャイアンツ清原選手の足踏みは個人的に興味なし)や、新人教師の不可解な自殺や、通り魔してしまった少年や、先週から抱えていたたくさんの”宿題”の答えあわせをする日となる筈だったのに。
すべてふっとんぢゃいましたね。

事件の重大さや意外性(世界で一番正確で安全な列車という神話の崩壊)や、被害者の数や、それやこれやで、決して切り捨てる事は出来ないニュースではあるのだけれども、その他の重要でかつ深刻な事件/事故/情報が、結果的にないがしろになってしまうのは否定出来ない事実である。

例えば、新聞や雑誌といった紙メディアが紙面や誌面といった物理的な空間(=スペース)が、その提供出来る情報の制約を受けるのに対して、放送メディアは、時間がその大きな制約となる(解りづらい人は、文学が空間芸術で音楽が時間芸術って事を、シュミレートしてみてね?って、かえって、解りにくい例え話しちゃってる?)。
だから、空間的な制約と時間的な制約を、現在よりもほんの少しでもとっぱらう事の出来る、新しいメディアは必要なんだってば。

その結果、週末の”宿題”の答えあわせ如何によっては、ものすごい逆風が吹く筈の現政権も、ここでもまた、強運に救われたんですね。っていう論調は今のところ、脱線事故の大きさの影に潜んでいるけれども、いずれやってくる政局の時に、この”失われた週末”が議論の対象になるんだろうな。

と、まぁ、事故の周縁はそんな感じです。

未だ救出されていない被害者の方々の救出や、事故原因の追求により、この事故の”しょうたい”は、いずれ明らかになるでしょう。
が、それよりも。
現時点では今回の死者70数名の、名前と年齢だけが並ぶリストが、最も雄弁にありとあらゆる”ものがたり”を、わたしたちに語りかけています。

亡くなった方々の御冥福を心よりお祈りすると共に、負傷者の方々にお見舞い申し上げます。

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