2005年06月01日
麗子像を考えよ:かえるさんより vol.03.
あくまでも個人的な意見として、だけれども。
自慢の娘や息子の運動会での奮戦する姿とかを延々とホームシアターで観せられたり、愛すべき彼もしくは彼女の初めてのヌードから始まって七五三を経て結婚式を最終ゴールとする様な、うずたかく積み上がったフォト・アルバムを次から次へと撮影者のご丁寧な解説付きで観賞させられる事程、退屈な事はないです。しかも監督だったりカメラマンだったりする方々が、とりわけ熱中していればいる程、退屈な事はないです。
もう一回書きます。退屈です。本当に退屈です。やめて下さい。
ここから初めて読む人の為に、前回、前々回同様、麗子像の作品をあらためて並べてみます。その時にも述べましたが、ここにある作品が代表作であるとか名作であるとは必ずしもありません。とりあへずの4作品です。
麗子像
麗子肖像(麗子五歳之像)
毛糸肩掛せる麗子像
麗子十六歳之像
ものづくし(click in the world!) 7.-3.:
麗子像 そのさん
退屈な理由は単純にして明解。監督だったりカメラマンだったりする制作者(この言葉は広い意味でのクリエイターって言葉に置き換えても良いよね)の、モデルだったり被写体だったりする彼もしくは彼女への想いを、わたくし(たち)が共有出来ていないからです。もうちょっと言い方を変えてみると、想いを共有出来る装置がその作品の中に設定されていないからです。
例えば、マイケル・ジャクソンでもジョディ・フォスターでもマコーレー・カルキンでも谷亮子でも安達祐実でも福原愛でも花田兄・弟(御尊父の御冥福をお祈り致します)でもW(ダブルユー)でも誰でも良いのだけれども、子供時代から現在の成長した姿を見知っている有名人の映像だったならば、その共有装置は確実に働きますよね。
でもだからと言って、隣の家の洟垂れ坊主がお受験をクリアして難関校を突破して官僚やなんかになっていく記録をみせられたって、共有装置は働かない。一方で、そんなサクセスストーリーとはまっ逆さまな、天才少年が坂道を転げ落ちる様に犯罪者になってTVや新聞で実名報道されたとしても、やっぱり共有装置は働かない。(インタヴュアー「普段はどんな少年でした?」「とってももの静かな大人しい良い子でしたよ...。」)事件の当事者の周辺取材をしても、当たり障りのない言葉ばかりが並ぶのはそういう理由でしょ?
話がずれましたね。
つまり、昔っから知っているとかちいさいときから一緒だったというだけでは、制作者の意図(というか制作者の愛情)は鑑賞者には伝わらない訳です。
ぢゃあ、マイケル・ジャクソンやジョディ・フォスターやマコーレー・カルキンや谷亮子や安達祐実や福原愛や花田兄・弟やW(ダブルユー)における共有装置ってなにかって言うとなんでしょう?
凄い陳腐な発言を許してもらえば、同時代性だと思います。TVやスクリーンやその他のメディアを通じて彼らの成長(と、もしかしたら堕落も?)を見て来たという自負が、そのまま、己の成長(と、もしかしたら堕落と、この場合は老いも?)にフラッシュバックするんぢゃあないのかしら? この場合、あくまでもメディアを通じて見続けるという作業が、錯覚にも似た共有装置を発動させるのではないか。と、言うよりも、彼ら自身がメディアであると考える方が、解りやすいかな?
何故って、例えば七五三で流行のアニメのコスプレさせようが、裏原の最新モードを着せようが、はたまた『愛・地球博』で記念写真を撮ろうが、被写体本人が同時代性を顕現する事にはならないから。同時代性を顕現するのは、あくまでもそのアニメだったり裏原だったり『愛・地球博』だったりする訳で、被写体本人は敢て言えば刺身のツマにすらなり得ていない訳です。
父が愛娘を丹念に描いたというだけからのみ、感動や名作は生まれない、という至極当然の前提を基にして、ぢゃあ、麗子像には独自の共有装置や同時代性を顕現させるシステムがあるのかっていうと、そんなもんないんぢゃあないかなぁ?って思うんですよ。逆に。
どちらかと言うと、そういったある特定の時代を想起させる様なアイテムは周到に削除されて、素材そのものの麗子自身に肉迫しようとしている、そんな気がします。
例えば、麗子像の彼女の服装自体は、当時の幼女が身に着けていた一般的な服装だろうし、ヘアスタイルも恐らく同様でしょう。だからと言って、当時を想起させるノスタルジックな印象は生み出さない。わたくし自身もそうなのだけれども、始めてこれらの作品を観たものが注視してしまうのは、あの麗子独特の”笑顔”なのだから。その”笑顔”の正体が始めて明かされた時に、この作品の正体が判明するんぢゃあないのでしょうか?
この連載まだまだ続く、のかなぁ?
余談ですけれども。
『ほぼ日刊イトイ新聞(通称:ホボニチ)』の好評連載企画『ほぼ日式声に出して読めない日本語。(通称:ヨメナ語)』で、わが(←手前ぇんのかよ! C山本耕史 as 土方歳三 in 『新撰組!』)岸田劉生氏が取り上げられております。
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