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2005年08月12日

杉並区の教科書検定問題

瑕疵があると思われる教科書”候補”が教科書として採択されるというのは、ある意味で大問題であるし、
その教科書が東アジアを中心とした外交問題に発展する可能性があるとしたら、きちんと議論した上で、採択されるべきである、と僕は思います(採択する側の人事もそうだし、採択する手続き的な問題も改めて問うべきでしょう)。
でも、ちょっと待ってね!

実際にその教科書を使って学習する児童なり生徒なりが、この議論にはまったくスポイルされていませんか?
いやいや、この議論に児童ないし生徒が参加すべきって意見ぢゃあないです(そんな主張したら泥沼でしょう? 各陣営各々が、児童ないし生徒の教科書たるに相応しい/相応しくないって、主張しあってんだから)。
そうじゃあなくて、両陣営共に、児童なり生徒なりが、単なる人形ででくの坊で、教える側が提供するものを無自覚/無責任に、それこそ砂が水を吸収する様に、与えられたもの(だけ)から学ぶって思っていない?
もし、そう考えているのなら、教える側のエゴイズムだし、あまりにも子供達を知らなさすぎると思いますよ、僕は。
子供は、大人の愚かな点や嘆かわしい点をきちんと見据えて、正に「反面教師」として観ていますよ。
その一方で、学習なり勉強なりは、学校の中で行う以上にその外で、彼らはきちんと学んでいる筈です。
胸に手をあててよく考えてみましょう。問題の教科書採択を賛成する側も反対する側も、等しく、親が与えたものを喜んでそこから学習しましたか? 
ホントの勉強は、学校教育からはみ出たものから、より多くのモノを学ぶと、僕は思っています。

だから、君達へ。
莫迦な大人や阿呆な大人が提供するものを見向きしないで、己が正しいと思う事にまっしぐらに突き進みなさい。
それが始まりであり、と同時に、それが最期に選ぶ道です。
世界はあなたを待っている(the world longs to see you!)。

posted =oyo= : 23:32 | comment (0) | trackBack (0) | ニュースをみる

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