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2005年10月19日

『ブリット』をNHK-BS2で観る

期待していたものと全然違った。
主演スティーヴ・マックィーン。共演にロバート・ヴォーン(『荒野の七人』や『タワーリング・インフェルノ』でも共演)とジャクリーン・ビセットっとあるんで、痛快な刑事アクションものだと思っていたら、アメリカン・ニューシネマの影を引き摺ったシリアスな渋い映画でした。
まぁ、僕がそんな独り合点をするのも無理はない、というのは、この作品、映画としての評価よりも先にその音楽からの高い評価から先に接していたからなのだ。
担当はラロ・シフリン。個人的なリアルタイムの時系列で言うと、最初に幼児小児期にTV『スパイ大作戦』、少年期に『燃えよドラゴン』と皮膚感覚で彼の音楽に馴染んでいるうちに、クロスオーバー(今で言うフュージョンの先駆け)ミュージックの立て役者という評価を経て、しばらくその存在を忘れていたら、クラブミュージックレア・グルーブ熱の高まりで再評価されたと言う方(あ、これはあくまでも個人的な音楽体験の中での話、御本人はずっと最前線で活躍されております、『ダーティー・ハリー』とか『悪魔の棲む家』とか『おかしなおかしな石器人』とか)。
ブリット』という作品は、そのレア・グルーヴ再評価の渦中で触れたのであります。
えっと、ジャケット観れますか? えっ、だめ。だめですか。じゃあ、現行CDのジャケットで代用しましょう。
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これです。

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オリジナルLPはこのマックィーンの別カットを原色のシルクスクリーン?処理してあの時代ならではのポップ感に溢れていたんですけれどもね、...えっ? なにLP大丈夫。はい、今お話ししていたのがジャケットがこちら
LPオリジナル・ジャケット復刻版CDです。

このイメージもこの映画の先入観を本来のテイストと異なったものにねじ曲げる要因ではなかったかと思いますが如何でしょう。で、音楽そのものも今で言うクールなアシッド・ジャズフルートの醒めた音色を活かした抑制の利いたグルーヴが、「ク〜ッたまらん(C 中山康樹)」。
興味あるヒトは聴いてみてちょ。本稿は、ラロ・シフリンを語るべきものぢゃあないんだから。
ここまではあくまでも落語でいうところのまくら羽織脱いで、本論に突入しましょう。

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本来、スティーヴ・マックィーンフィルモグラフィーでも代表作として挙げられている作品、決して内容的に悪い作品ではない。ただ、個人的には彼の演じて来た数々の漢(=おとこ)達とは、やはり異質な感が拭えないのもまた事実。

シカゴシンジケートの内部告発を議院で証言する事になっている証人の、身辺警護を依頼されたサンフランシスコ市警のブリット警部補(=マックィーン)がその警護と失敗(証人が暗殺されてしまう)からその犯人を執拗に追跡する数十時間の行動を、この映画は丹念に描いている。警護を依頼した上院議員(=ロバート・ヴォーン)との確執、刑事という職業の非人間性を告発する妻(=ジャクリーン・ビセット)との愛情のもつれ、これらをサブストーリーとして、警部補はみえない犯人を追跡する。
週明けの月曜日に行われる議院での証言、それまでの40時間の証人の警護という半ばアルバイト的な依頼だっただけに、事件の背後関係や証人の人間関係といったバックグラウンドが殆ど不明なまま、警部補はその職務につく。そして、その依頼された失敗=証人の暗殺を通して、我々は彼とともに真犯人と事件そのものの真実を追求して行くことになる。
物語は非常にシンプルで、期待(?)のアクション・シーンも非常に抑制されている。坂の多いサンフランシスコの地形を活かしたカーチェイスや、病院内での実行犯の追跡劇とクライマックスとなる空港での真犯人捕獲劇も、今の時代の眼でみれば地味とも思える程、リアリズムに徹している。
そういう意味では、アクション・スター、スティーヴ・マックィーンの新たな局面を魅せる新展開の作品なんだろう。でも、逆に言うと、彼のマス・イメージからは随分と外れている様な気もする。

ものづくし(click in the world) 15:

映画の中のスティーヴ・マックィーン

と、いうのも、僕がリアルタイムで彼の作品に触れたのが、『ゲッタウェイ』や『パピヨン』、そしてTVの洋画劇場での『大脱走』と、彼が演じる役はいずれも逃亡者なのだから。
ゲッタウェイ』での警察と組織双方から追跡されメキシコへの越境を目指す年老いた銀行強盗犯。無実の罪で投獄された終身刑の囚人。第二次大戦中の脱走不可能とされた捕虜収容所からの逃走を目指すアメリカ兵。
彼が演じた男達は皆、なにものかから逃げなければ己の生を得ることが出来ず、逃げる事によって自己のレゾンデートルを証明し、そして逃げる事によってなにものかを得る。例え『大脱走』の様に逃亡に失敗したとしても、他の多くの捕虜とは異なり己の生命までも失う事はない。
何故なのか? それは逃げる事はすなわち、なにものかを獲得するための追跡でもあるからだ。『ゲッタウェイ』では逃げて生き延びて、妻への不信が拭われ大金を得る。『パピヨン』では己の無罪を証明するだけでなく、悪しき監獄制度も廃止される(これは映画内では具体的には描写されてはいないが)。
そして、男達が得る最大の収穫、すなわち逃げる事によって手にいれるなにものかとは、「自由」に他ならないのだ。だから、犯罪者や囚人や捕虜といった日陰者を演じる彼の中には、その様な人々特有のうらびれた心情ではない。彼の中にはある種の爽快感と達成感が満ちている。
それに僕達は共感して、彼の演じる男達に漢(=おとこ)を見い出すのである。
タワーリング・インフェルノ』での当初の彼の配役は、高層ビルの設計者だったという。つまり、ここでも自らが生み出したビルの大火災から逃げる男を、制作サイドは望んでいたのだ。つまり、彼のマス・イメージに従ったキャスティングだった訳なのだがしかし。マックィーンは、それを辞退。その結果、彼には消防士という”逃がす役”があてがわれ、彼が演じる筈だった設計者はポール・ニューマンが演じる事になった。結果的にニ大スターの競演となったわけだが、これが当初の予定通りのキャスティングだったら、どんな映画だったかなぁと思いながら観てみるのもまた一興であります。
だから、彼の若き日の、不定形アメーバー状の宇宙怪物と戦うティーンネイジャーを演じる『マックィーンの絶対の危機(SF人喰いアメーバの恐怖)』や七人の参謀格の凄腕ガンマン(オリジナルの『七人の侍』の稲葉義男加藤大介を足して2で割った様な役?)を演じる『荒野の七人』とか、マス・イメージ確立前の彼の作品ってやっぱり観てて居心地悪いんですよ。

おまけ:ロバート・ヴォーンって今回の議員の様に権力をカサにきたものいいをする役っておおいっすよね。当り役『ナポレオン・ソロ』での飄々とした二枚目半のスパイってのが、彼のキャリアの中では逆に異彩を放っているのが、不思議だわ。ちなみに彼がブレイクする切っ掛けとなった『荒野の七人』では、アル中のガンマン。

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おまけのおまけ:僕たち世代のもうひとつのマックィーン観は、この作品。プリファブ・スプラウトの『スティーヴ・マックイーン』。音楽は勿論、ナイーヴなジャケットが秀逸。

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