2006年01月22日
トウヤマ’魂’タカフミ from Shaolong To The Sky about 『月の陰から』
沖縄インディーズ・シーン勃興を告げるオムニバスアルバム『沖縄中毒』にも参加しシーンの牽引者だったAnger From Ball。そのギター/ヴォーカルを担当していたトウヤマ’魂’タカフミがバンド活動休止後、あらたに始動させたのがShaolong To The Sky(シャオロン トゥ ザ スカイ)。そのファースト・アルバム『月の陰から』が昨2005年末、自らが運営する真夜中レコーズより遂に発表された。同世代のバンドより群を抜く圧倒的な演奏力と高度な音楽性を誇っていたAnger From Ballのrock魂はそのままに、さらに「うた」を聴かせる方向性へとシフトしたトウヤマ’魂’タカフミに、新バンドShaolong To The Skyとその作品について語ってもらったロングインタビューをここに掲載する。
<上記掲載のジャケット写真をクリックすると、作品を試聴出来るページに飛ぶ事が出来ます。また、CDを通販にて購入御希望の方はこちらの通販ページにアクセス願います。>
その他の情報:
真夜中レコーズ
URL:
http://www.shaolongtothesky.com/
携帯URL:
http://www.shaolongtothesky.com/m
−まずは、ファーストアルバムが完成されるまでの長い(?)過程を教えて下さい。 この3人が出会ういきさつ辺りから教えて下さい。
トウヤマ’魂’タカフミ:長かったですね、ほんとに。2002年の夏頃かな、Anger From Ballをそのままの形で活動して行く事に疑問を感じ始めたんです。それは、作曲や作詞の仕方、バンドのモチベーション、自分の演奏面や精神面でのクオリティの低さにあまりにも絶望してしまったんです。このままダラダラやっててもしょうがないと…
それで、まず自分の中で「グっとくる」っていうレベルを基準に、それをバロメーターとして音楽をクリエイトしていこう思いました。そのためには、まず人のせいにするんじゃなくて、自分の足下を見つめて、弱点を知り、それをどんどん少なくして歌やギターをより「グっとくる」ように聴かせる事ができるようになるための準備をし始めました。クラシックギターレッスンに通ったり、ボイトレ(=ヴォイス・トレーニング)に通ったり、沖縄浦添にあるライヴハウスgrooveで毎週火曜日に行われるジャムセッションナイトへの参加っていうのが具体的な行動でしたね。
でもレッスンに通っただけで、自分の思い通りの音楽ができるとは限りませんよね、でも音楽は一人で部屋にこもってやるより、いろんな方々の演奏や考え方や存在感をみたり感じたりした方が体に音楽を馴染ませるにはいいと思ったし、それは間違いではなかったと思います。
ボーカリストしての新しい可能性も確認できたし、歌ってて楽しいって思えるようにもなった。ギターもウマいだけじゃなくて、その人の話し方で弾けばその人の訛りもでてくるだろうし、それがその人の味になっているんだろうなとも思えるようになりました。ジャムセッションでは人の音を聴くという基本を叩き込まれましたね。
怒られながら(笑)、音量でごまかすな!っとかね。
もう始めの頃はステージで5分ともちませんでしたね。何をやっていいかわからなくて立っていられませんでした。今でもその緊張感はまだありますね。バンドのライヴとは違いますからね。
そうこうしているうちにライヴハウスgrooveのオーナーでありベーシストのガチャピンさんが僕に「バンドやらない?」って誘ってくれたんです。こんな未熟な面をさらけだしてるにも関わらず県内でもひっぱりだこのベーシストが誘ってくれるなんて僕には青天の霹靂という感じでした。なんだか滞って何も進まない生活が一変するほどでした。
その頃から曲がどんどん生まれてきて、いつかこのバンドでやろうと書きためていました。何週か過ぎて、ある日待ち人が到来しました。ドラマーのナカミネタケアキです。彼は僕がかつていた古着屋『STOMP』のお客さんでした。まだ彼が高校生だった頃。彼は自分のドラミングに何かしらの疑問を感じgrooveのセッションナイトに出向いたようです。彼のうるさくて派手で、もの凄い勢いのあるプレイに僕とガチャピンさんは魅了され、その夜のうちにバンドへの参加をオファーしました。即オーケーをもらい新バンド結成となったわけです。
それが2003年の8月ですね。
8月30日に初ライヴをやってそれからは月に2回くらいのペースでライヴをやってきました。イベントも企画しながらやってきました。ライヴをこなしていくうちに曲も増えてきて、そろそろ音源をリリースしたいなと具体的に考え始めたのが2004年の年末頃。その少し前に出会いがありました。
モンゴル800が『百々(もも)』というアルバムのプリプロをやっていたスタジオに誘われて遊びにいったんです。そこに長髪で仙人みたいなエンジニアがいて、その人の事を訪ねたら上原キコウという人だったんです。彼は僕が好きなくるりの作品や電気グルーヴ等のミキシングを手掛けたキャリアの持ち主でした。そんな沖縄出身者の存在を知った時、僕はいつかこの人と仕事が出来たらいいなぁと漠然と思っていました。
その少し後に、ドラゴンアッシュのHIROKI君と桜井くんのダンスユニットendiveがトラックダウンのために沖縄に来ていました。HIROKI君から連絡があってスタジオに遊びに行きました。そしたらキコウさんがまたいたんです。実はキコウさんにトラックダウンをしてもらうために沖縄に来ていたらしいんです。そこで、僕が企画している『3m+』というイベントにendiveを誘ったんです。トントン拍子に出演が決まって、ライヴの当日キコウさんが会場に来ていました。そこで、「キコウさん、今度僕のバンドのレコーディングをやってもらえませんか?」ってお願いしたら「いいよ、でもいっぱい練習してね」って言われました。それから3ヶ月間バンドサウンドを固めて、いつの間にかHIROKI君が曲のアレンジなんかを担当してくれる事になって新しい血がバンドに注入され始めました。3月上旬の寒い頃、HIROKI君立ち会いのもと3日間で9曲分のベーシックトラックを録り終えました。
しかし、いざヴォーカル録りを始めてみると僕のトラックに対するボーカルのノリが合わず足踏みを余儀なくされてしまいました。今まで経験した事がないタイプの楽曲群、ヴォーカルがフューチャーされる曲への歌のアプローチがうまくゆかず焦りと苛立ちを押さえられない日々を過ごしました。
早くリリースしたいという焦燥感に襲われながらもキコウさんやガチャピンさんやレコーディングエンジニアの与那覇くんらの我慢強いサポートにより、回を重ねる毎に楽曲のクオリティは上がっていきました。理解できていなかったgroove感を体と頭で理解できるようになっていった気がします。週1回のペースでボーカル録りを進めて、結局5ヶ月間という長い時間が流れ、楽曲たちは上原キコウのもとへ送られました。
ミキシングはキコウさんのプライベートスタジオで行われました。沖縄は糸満市にあるさびれてしまった商店街にある一室で。くるりもモンパチも訪れたその場所で作業は真夜中に進められて行きました。途中ギターの差し替えなども少しあり、grooveを重視する奇才上原キコウの腕によって楽曲群はより輝きを見せ始めました。
最終的に11月まで作業は続いたものの、なんとかリリース日の2005年の12月14日に間に合い1st.アルバム『月の陰から』は陽の目を浴びたのです。
ーAnger From Ballもギター・トリオだったわけで、このバンド・スタイルにはこだわりとかあるのでしょうか? また、3人のバンドにおける役割分担とかありますか?
トウヤマ’魂’タカフミ:トリオバンドへのこだわりというよりはですね、メンバーがこれ以上増えるとスケジューリングも難しくなるし、4人よりやっぱり3人の方が多数決の意見が すんなりバンドに反映されるという事の方が強いと思います。たまにもう一人ギタリスト欲しいとか思いますけど、そういう時はそんなギターが弾けるように練習をするようにしています(笑)。
役割分担は僕が営業&作詞・作曲担当。ガチャピンさんがアレンジ&教育担当。ナカミネタケアキが若さ担当です。
ーAnger From Ballと比較すると、ヴォーカルの比重が高まっています。「うた」とはなんでしょうか?そして、歌詞に込められたメッセージとか歌詞の内容を教えて下さい。
トウヤマ’魂’タカフミ:今回のバンドではヴォーカルリストとしての側面をだいぶ大事にしています。今回のアルバムをレコーディングしながら学んだ事も多いし、今でも日々いろんな新しい事に気づいています。
だから次のアルバムにはもっとヴォーカリストとしていい「うた」が歌えると思うし、もっとレコーディングを楽しめるようになると思います。
「うた」ってね、やっぱりあると落ち着くんです、このバンドサウンドの中では確実に主役ですね。昔はそんなにこだわらなかった、でも今、自分に「グっとくる」っていうバロメーターを感じながらやる以上気持ちを伝える上で絶対欠かせないものですね。
アコースティックでつたないソロ活動もやっていますが、そこではバンドより楽に歌が歌えるので楽しいですね、そこでは「うた」もそうですが、ギターという楽器の響きの大事さを知ったかもしれないですね。リズム隊がいない分ギターだけで楽曲を構成しないといけないから、初めはストロークが多くてうるさい感じだったんですけど、今少ない音数で、響きを楽しめるようになりました。それはバンドに持ち帰っていい影響が出てるとも思います。弾いた後の余韻を楽しんでから次の音を出すっていうね。
バンドは他の楽器の音量に負けないように歌わないとうもれちゃう事がありますよね。
アコースティックライヴでも初めは声量なかったんですが、回を重ねる毎に上がってきました。
うつみようこさんとライヴをよくさせてもらってるんですが、彼女からの影響は大きいと思います。
最近はバンドの音に負けないくらい声が出るようになって嬉しく思ってます。
歌詞は嘘のない歌詞を書いてるつもりです、どんな風にとらえてもらってもいいんですけど、
自分の説明するのは控えたいですね、だってちゃんと書いてあるから説明するのもヤボでしよ?
ーそもそもバンド名ってどういう意味でしょう?
トウヤマ’魂’タカフミ:バンド名はShaolong (シャオロン)という小さな龍という意味を持つ言葉を気に入っていた僕の意見が採用され、タケアキが長い名がいいというので、Shaolong To The Skyという2番目に用意していた名前に決定しました。小さな龍が天に昇っていくような、上昇感のある名前にしたかったんです。
ー沖縄出身でなおかつ沖縄を活動拠点にしています。地元沖縄に対する思いとかはありますか? もしくはShaolong To The Skyにとっての沖縄とはなんでしょうか?
トウヤマ’魂’タカフミ:沖縄へのこだわりはあると思います。昔、日本全国が沖縄みたいにゆるい感じになればストレスの少なく、残酷な事件なんかも少なくなっていいんじゃないか?と思って『沖縄スタンダード化計画』なんて言葉を雑誌のインタビューで話した事があるんですが、最近はそれが目に見えて起こってる気がします。沖縄でしか食べられる事のなかったゴーヤーチャンプルーや沖縄そば、泡盛、さんぴん茶なんかが各地食べたり飲んだりできるようになったでしょ?東京なんか沖縄料理屋すごく増えましたよね。
ジャックジョンソン(Jack Johnson)やドノヴァン(Donavon Frankenreiter)なんかを代表するスローミュージックっいうのがもてはやされるのは、やっぱ少し急ぎ過ぎた都会の生活のペースをおとそうって意識が働いていると思うんです。でも、日本人の悪いところでスローライフを送ろうって力を抜けば いいのに、食べる素材も厳選された有機栽培の食材に、昔ながらの一軒家なんかを改装したカフェなんかで高いお金を払って一生懸命に力を入れてしまってる、そして休みにサーフィンをするみたいな。こう思うんです、沖縄っていうところは『スローワールド』だと。都会は『ハイパーワールド』。その中で緩く生きる努力をする人が増えている、それはまだ自然じゃないのかな?と思います、でも21世紀に入ってこういう動きがあるだけでも凄くいい事なんじゃない かなと思います。スローワールドの中で僕は頑張っていたいなと思うから沖縄にいようと思うんです。
ー残りのメンバー二人を紹介して下さい。
トウヤマ’魂’タカフミ:
上地gacha一也(Bass/たまに歌う)
彼は沖縄浦添の浦添 grooveというライヴハウスのオーナーとして、そして20以上のバンドで演奏するひっぱりだこのベーシストです。ジャズ、ノイズ、ブ ルースなど多方面で活躍。Shaolong To The Skyでは正式メンバーとしてアレンジャーとして、癒し系として能力を発揮します。
ナカミネタケアキ(ドラムス/コーラス)
orcaという3ピースのポストロック系のバンドのリーダーとして顔も持つ。
爆音ドラマーとして将来が期待される戌年生まれの23歳。
ー今回の作品を創ってみての手ごたえはどうですか?
トウヤマ’魂’タカフミ:この作品は僕が立ち上げた自主レーベル真夜中レコーズからリリースされています。
ですから、リリースに関するあらゆる作業を僕立ち会いのもとでいろんな方々の力を制作されました。ジャケットの絵は沖縄のゲストハウス月光荘勤務の絵描きスドウPユウジに描いてもらいました。中ジャケの写真は何枚か僕も撮ったんですが、金載弘(キムジェイホン)君にも撮ってもらいました。そういうバンドの外からの気持ちもたくさん入ってるアルバムなんです。だから、スドウ君のファンにも聴いて欲しいし、逆にこのアルバムでスドウ君の絵を知ってもらえたり、キム君の写真を知ってもらえるようになったら嬉しいですね。この作品はぼくにとって初めてほとんどの事をコントロールして作ったものなので、やっぱりあったかい、大事な一枚ですね。
ーアルバム発売にあわせてのツアーもしました。そこでの手ごたえとか、印象とかどうでしたか?
トウヤマ’魂’タカフミ:今現在東京で3本のツアーを体験したとこですが、やっぱり東京でライヴをやるのは凄く刺激的です。さっき『ハイパーワールド』といって東京を皮肉るような発言をしましたが、否定しているわけではないんです。やっぱり、世界でももっとも成熟した都市には他では得られないスリリングなものがあります。ライヴハウスのスタッフの対応一つにしても速いし、音響はいいし、PAの方の腕も抜群にいい。なんの不安もなく演奏させてもらえました。ありがたいです、お客さんもたくさん来ていただて、感謝以外になにもありません。
ー突然ですが「愛する人のために戦いますか?」「愛する人とともに戦いますか?」「愛するひとであっても戦いますか?」どれかひとつを選んで、まず、その言葉の意味もしくは状況を説明して下さい。そして、何故、それを選んだか詳しく説明して下さい。
トウヤマ’魂’タカフミ:「愛するひとであっても戦います」。
僕は『誰かのために』何かをするとかいう考え方をある時期に捨てました。ですから、「愛する人のために戦いますか?」はなしです。全ての行動を自分のために行おうという考えで動いています。これは自己中心的に動くという事ではなくて、自分の為に自分の愛する人に施しをする、それがたとえ、戦うという一見相手を傷つけてしまうような場面だとしても、愛する人と意見や立場が対立してしまう場合は、戦ってでも相手を幸せにしたいと願いでしょう。
それは「愛する人とともに戦う」という事に近いかもしれません。
ー2006年の活動方針とか、今後の野望。そして、ここまで読んでくれた方々へのメッセージを。
トウヤマ’魂’タカフミ:去年の2005年12月にアルバムを出して、今ツアー中でまだ先の事は漠然していますが、実は新しい楽曲たいも出番待ちをしている状況なので、早めに次の 作品もリリースしていきたいと考えています。今年はまず、ライヴですね。去年は4本しかできませんでしたから、今年はいっぱいやりたい。まず、残りのツアーを一本一本大切にやっていって、まだ沖縄でしか手に入らないこのアルバムを全国流通させて、もういっかい全国ツアーをやりたいですね。
posted =oyo= : 12:56 | comment (2) | trackBack (1) | interview with
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» sholong to the sky「Re:song」 from with a kiss,passing the key
昨夜は、sholong to the skyのファースト・アルバム『月の陰から』CD発売記念ライブに下北沢にあるclub 251に出かけてきました。
共... [詳しくはこちら]
コメント
>yumiさん
コメントありがとうございます。
メンバーの魂君とは古くからの知り合いだったので、なにか応援出来る方法がないかなと思って、彼に相談した結果、このような形となりました。
その他のアーティストやバンドでも出来るのかは、これから個別に相談してていく形になると思います。
投稿者: たいとしはる feat.=OyO= | 2006年01月23日 19:11
はじめまして!
Shaolong To The Skyのbbsから飛んできて、インタビュー記事読ませていただきました。
東京では一部の沖縄雑誌しかチェックできないので、こういったwebインタビューはファンとしては、とてもありがたいです。
投稿者: YUMI | 2006年01月23日 10:30