2006年07月25日
『チャップリンの黄金狂時代(The Gold Rush)』と『犬の生活(A Dog's Life)』をNHK-BS2で観る
欽ちゃんに次いで、チャーリー‐チャップリン(Charles Chaplin)という存在をインプリンティングしてくれたのは、少年マガジンのグラビア‐ページ。少年マガジンでグラビアで映画作品の紹介ときたら、当然、OHこと大伴昌司。の筈。さすがに手許に原物がないから確証はないのだけれども。カラーページで映画の名シーンや迷シーンをヴィジュアル重視で切り刻む(カットアップ & フォールドイン)様に紹介し、モノクロページで作品の数々やチャーリー‐チャップリン(Charles Chaplin)の人物像をきっちりと紹介していく手法は、彼ならではの手法だと思うんだけれどもねぇ。
ちなみに、当時全国レベルで展開された「ビバ!チャップリン・シリーズ」とのタイアップ企画。この少年マガジンでのグラビア特集を観て(読んで)実際に上映館に足を運んだ僕達は、コマ割りで丁寧に紹介されたその映像を、スクリーン上で確認する事になるのでした。
『チャップリンの黄金狂時代(The Gold Rush)』1925年発表
今回観たのは、オリジナル作品公開後、チャーリー‐チャップリン(Charles Chaplin)自らの手でナレーションと音楽を加えたもので、所謂ディレクターズ‐カット。ディレクターズ‐カットが存在する映画はどれも、オリジナル作品(=ファースト‐カット)と比較されてその成否を問う意見が百出するのだけれども、本作品もその轍を逃れる事は出来ないようです(こちらを参照願います)。
ちなみに、本作品のファースト‐カットは完全なサイレント映画だそうだけれども、残念ながらそちらの方は未だに観る機会はない。
ところで、『チャップリンの黄金狂時代(The Gold Rush)』と言えば、靴。だけれども、ここで取り上げるのはその靴を喰べる有名なシーンではなくて、もうひとつの方。
ヒロイン、ジョージアを含めた踊子達を自宅(というかホントは留守を任された他人の家)に招いて行われる大晦日パーティでのワンシーン。ジョージアからスピーチを頼まれた主人公は、スピーチの代わりにと言って始めるのが件のダンス。二本のコッペパンを取り出して、各々に一本づつフォークを突き刺す。フォークが脚となり、コッペパンが靴となり、テーブルの上で珍妙なダンスが始る。そのフォークとコッペパンを操って踊る時の主人公の物悲し気な表情が溜らない。本来ならばあふれんばかりの笑みをたたえて"踊る"べきなのに、暗闇の中に浮かぶ彼の顔は、孤独な瞳が輝いている。
何故ならば、パーティをジョージア達にドタキャンされた主人公が観る夢だから。ディナーの用意をして待ち草臥れて観る夢が醒めた後に、主人公は新年のお祝気分に満たされた街を彷徨い、さらに孤独感を味わうシーンに繋がるのだけれども。それを予感させる(コッペパンの靴の)ダンス‐シーンはこの映画の白眉でしょう。
それともうひとつ。
スラップスティック‐コメディでは同じネタの執拗な繰り返しで、観客の笑いを誘うというのが定番だけれども、チャーリー‐チャップリン(Charles Chaplin)はそれがやっぱり上手い(上手いって、上から目線で誉めていいのかな、彼を?)。例えば、飢餓感から靴を喰べてしまう訳だけれども、それ以降、靴ネタ、脚ネタは随所に様々なヴァリエーションで出てくる(喰べてしまった靴の代わりにぼろ布をぐるぐる巻いて脚にあてがっているその脚に火がついて大騒ぎになる等)。それと同じ手法/論法で出てくるのが、この(コッペパンの靴の)ダンス‐シーン。でも、本来は笑いを誘う装置がここでは別の機能を果たして、スラップスティック‐コメディとは別の次元にこの映画を運んでしまう。
『犬の生活(A Dog's Life)』1918年発表
初見です。
『チャップリンの黄金狂時代(The Gold Rush)』と同様に、後にチャーリー‐チャップリン(Charles Chaplin)自らが音楽を加えた所謂ディレクターズ‐カット。
で、問題はそのディレクターズ‐カットで何をやっているかと言うと、本編冒頭に作者としてのチャーリー‐チャップリン(Charles Chaplin)が顔を出して、映画の撮影風景を再現、つまりメイキングを紹介している事。
この辺、チャーリー‐チャップリン(Charles Chaplin)の先見性を讃えるべきなのか、それとも、作品再生の新しい方法論を見出せない我々を責めるべきなのか。そう言えば、自作品が単行本化される際や再発売される際に、手塚治虫が作品冒頭の見開き2ページを使って作品解説やら自己弁明をしていたのも、これと同趣向です。
最期になんで今日の放送はこの2作品なのか? 勿論、尺(=放送時間)の都合もあるのだろうけれども、実はどちらにも、主人公とヒロインのダンス‐シーンに犬がついて廻る(犬の立場からすれば廻らざるを得ない状況なんだけど)事と、チャーリー‐チャップリン(Charles Chaplin)作品にしては珍しく経済的にも恵まれて放浪者生活にもピリオドを打てた事、このふたつの共通点が挙げられるんだけど、果たして?
posted =oyo= : 04:00 | comment (0) | trackBack (0) | 映画もみる
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