2006年07月27日
『街の灯(City Lights)』をNHK-BS2で観る
では、最初のチャーリー‐チャップリン(Charles Chaplin)体験はっていう事になると、先に出た「ビバ!チャップリン・シリーズ」でのリバイバル上映。『モダン‐タイムス(Modern Times)』『街の灯( City Lights)』『チャップリンの独裁者(The Great Dictator)』と、親子4人で観に行きました。ちなみに僕が小学校高学年で三つ下の弟が低学年。そんな餓鬼に解るのってな疑問を差し挟む方もいっらしゃるかもしれませんが、「追悼:伊福部昭」でも書いた様に、映画館はランドセルを背負う歳になる前から馴染の場所。字幕読める読めない関係なく、洋画ロードショーもクリアしています。それにそもそもチャーリー‐チャップリン(Charles Chaplin)のサイレント映画ならば、言葉の壁は関係ないでしょ?
それでも、この「ビバ!チャップリン・シリーズ」の上映館は、これまで通った怪獣映画の上映館(つまり東宝邦画系封切館)でも、スペクタクルやアクション映画を上映する洋画一番館とも随分と雰囲気が異なっていた。名画座。100席にも満たない小さい狭いスペースでスクリーンに対峙するのは、かなり異様な雰囲気に包まれていました(勿論、ティーンになったら、その映画館にはかなりお世話になるのだけれども、それはまた別の話であります)。
『街の灯( City Lights)』1931年発表
この映画は、チャーリー‐チャップリン(Charles Chaplin)演じる主人公の、アップで終わる。一輪の小さな花を手にしたその顔は、微笑んでいる様にも、泪が溢れかけている様にも、また、なにかを怖れている様にも、観える。そして、この映画を観る者は、喜劇王という称号を持っているこの男の、もうひとつの称号を思い出す(このもうひとつの称号は各自の、こころの中に思い浮かぶ「それ」です)。
そして、もうひとつ。
制作、脚本、監督、音楽そして主演とひとつの作品に、ありとあらゆる顔を持つチャーリー‐チャップリン(Charles Chaplin)だけれども、このラストシーンの"笑顔"で、気づかされるのは、俳優としてのチャーリー‐チャップリン(Charles Chaplin)、表現者としてのチャーリー‐チャップリン(Charles Chaplin)の凄さだ。身体的な表現力ならば、初期短編のスラップスティック‐コメディでも充分に解るけれども(もしかしたらそちらの方が身体的な表現力はすぐれているかもしれないけれども)、人物のこころの動き/人物の内面の、彼の表現力を知るには、この作品のラストで充分でしょう。
映画の粗筋はいたってシンプルなもの。
チャーリー‐チャップリン(Charles Chaplin)演じる、いつもの浮浪者が盲目の薄幸の美少女と知り合い、セレブと偽って、彼女に献身的に尽す。その結果、名医の執刀により視力も得、経済的にも潤った彼女と、浮浪者の主人公が再び再会する。そして、彼女は彼の正体とこれまでの経緯、総てを知る。
だから、この映画の大切なシーンはみっつしかない。
ひとつは主人公の最初の登場シーン。
次に、盲目の少女との初めて出会うシーン。
そして、最期の再会のシーン。
ラストシーンのあの笑顔に辿り着く為には、いつものドタバタでスラップスティックなチャップリン(Chaplin)映画から飛翔しなければならない。
だから、初登場シーンでは、ことさらに、ドタバタでスラップスティックなチャップリン(Chaplin)映画を強調した形となる。おっちょこちょいでヒトが良く、ドジで間抜けで、でも憎めない、あのいつものチャップリン(Chaplin)映画の主人公そのままの人物が、(いつもの作品よりもかなりデフォルメされて)登場するのだ。
そして、問題なのが出会いのシーン。ここで、映画が喜劇とは、別のものになるための最も重要なシーンである。それを意識したせいか、このシーンの撮影の為に、一年以上もリテイクされたという。
(と、いう事を聞かされてこのシーンを注視したけれども恐ろしく自然。破天荒な事も、奇を衒った事も一切ない、流れる様に映像が流れ、物語が紡がれて行く。)
そして、再会のシーンでは、出会いのシーンに登場して来た様々な大道具や小道具や背景が見事に転用されて(あたかも変奏曲が如く)、彼の"笑顔"に収斂していく。それは、(彼によって)変わってしまった彼女の境遇と何も変わらない彼の境遇、この隔たりが、みるみる氷解していく物語だ。
ところで、盲目の少女の眼の治療費を稼ぎ出す為に死にものぐるいで奮闘する物語と言えば、僕達世代にとっては『タイガーマスク』の「覆面ワールドリーグ」篇なのだけれども(さすが梶原一騎!?)。そして、ここに出てくるジャイアント馬場さんの教えを受けた僕達は、『街の灯( City Lights)』の主人公や伊達直人同様、チャリティーやボランティアは匿名であるべしというインプリンティングがあります。
だから、どうしても、バンド‐エイド(Band Aid)以降の行動様式って鼻白んぢゃうんですが?
posted =oyo= : 03:42 | comment (0) | trackBack (0) | 映画もみる
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