2006年12月10日
モオツァルトという事:生誕250年もしくは映画『アマデウス』
今週頭から、モーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart)の音楽が鳴り響いております。原因は単純な話で、月曜日に『アマデウス(Amadeus)』を例によってNHK-BS2で観たから。
この映画の凄いところは、きちんと彼の音楽の素晴らしさを咀嚼して解説しているふたつの部分。
ひとつはモーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart)とサリエリ(Antonio Salieri)の初めての邂逅の場。モーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart)の譜面を読むと同時に、本来ならば彼の頭の中でしか聴けない音楽が鳴り響く。しかも、その聴くべきポイントを、それが鳴り響く直前でF. マーレイ・エイブラハム(F. Murray Abraham)扮するサリエリ(Antonio Salieri)が言葉で指摘してくれる。
もうひとつは、例の遺作となってしまった『レクイエム ニ短調 K626(Requiem in D minor K626)』を、二人の共同作業として書き進めるシーン。死を目前とし体力的にもギリギリのモーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart)は、頭の中のメロディを次から次へと憑かれた様に唄い語り、それに追い立てられる様にそのまま、サリエリ(Antonio Salieri)が記譜してゆく。だから、最終的な楽曲として完成する前の各パートごとの音符の連なりや音響の推移を分解された状態で聴く事が出来る。それは、レコーディング・スタジオという密室の中で、リミックス作業に従事しているかの様に、欲しい音や必要なメロディを取捨して行くかの様だ。
それを聴きながら今さらながらにモーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart)の凄さというのを再認識させられた次第。訳知り顔で滔々と語るのも気恥ずかしいけれども、欲しいところに欲しい音律や音響が用意されていて、そして、その用意周到に繰り広げられる音律や音階に乗せられて常套句を期待していると、そこでいい意味で裏切られる。予期しなかった旋律や予想だに出来なかった音韻が、新しい世界を展開してくれる。あんなに"簡単な"作品が、何故、何百年も生き残って来たか、そして僕の耳殻から離れないのか(ってこれは蛇足だけれども)、その推理の糸口くらいにはなるかもしれない。
だから、本来ならば最重視されるべき、この映画のふたつの主題は、僕個人としては、あんまり明瞭ではなかった様に感じられた。
ふたつの主題とは、モーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart)を廻る二人の男の物語。
ひとつは、父レオポルト・モーツァルト(Johann Georg Leopold Mozart)とヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart)の物語。畏怖すべき強権たる父親像とそれを乗り越えられない若者の物語。
もうひとつは、天才モーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart)と秀才アントニオ・サリエリ(Antonio Salieri)の物語。天才の圧倒的なちからを理解し評価しているが為に、天才を敬愛しそして憎悪する男の復讐譚。
そして、『アマデウス(Amadeus)』という物語は、最初の物語を第二の物語に援用する事で成立している。つまり、秀才にとって絶対的な存在であった天才の、唯一の弱点が発見され、その弱点を突かれて滅亡する様を描いた物語という事になる。それは例えばギリシア神話のアキレス(Achilles)や旧約聖書 士師記のサムソン(Samson)の様な唯一の弱点を攻撃されて滅亡した神話世界の英雄のお話を思い出すかも知れないけれども、そうではない。この物語の全体の枠組みが、地位も名誉も失って瘋癲院に追いやられてしまった、老いさらばえたサリエリ(Antonio Salieri)が告解するという形式である事を思い出して欲しい。つまり、畏怖すべき父レオポルト・モーツァルト(Johann Georg Leopold Mozart)と天才ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart)と秀才アントニオ・サリエリ(Antonio Salieri)の関係性は、ヤハウェ(YHWH)とイエス・キリスト(Jesus Christ)とイスカリオテのユダ(Judas Iscariot)とのそれではないだろうか。
システムや制度のモデルとしては三位一体は魅力的だけれども、人間のドラマとしてはイスカリオテのユダ(Judas Iscariot)の存在は大変重要です(こんなところでこんなだいそれた断言して大丈夫?)イスカリオテのユダ(Judas Iscariot)が主人公ではないけれども、イエス・キリスト(Jesus Christ)が磔刑に処せられる事によって己の命を救われた盗賊バラバ(Barabbas)を主人公に据えた、ラーゲルクヴィスト(Par Fabian Lagerkvist)の小説『バラバ』は理解の一助になると思います。
って深読みするよりも、単純に当時の風俗を再現した絢爛豪華な映像美に惑溺すれば良いのかも知れない。この映画の公開以降、夭折した天才音楽家というイメージよりも高らかな哄笑と共に現れる人格破綻者という印象が独り歩きする様になった。研究者にとっては、ある女性への手紙でお尻の事ばかりを書いていた男てのは随分と有名な逸話だったらしいけれども。
そしてこの作品で、主役を演じたトム・ハルス(Tom Hulce)って、公開当時も今観てもデーブ・スペクター(Dave Spector)にしか見えないんだよね。
モーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart)の物語としては、後に舞台ミュージカル化もされた福山庸治のマンガ『マドモアゼルモーツァルト』の方が好きです。誰か、これをハリウッドで映画化しないかな? それとも、映画『ベルサイユのばら』の二の舞いかしら?
ps:何十年も昔のこの季節に始めて『モオツァルト』に自覚的になった事を今、思い出しました。受験生は、やっぱり小林秀雄くらい読破しないと...という事で、あたり構わず文庫化された作品群を読み漁っていました。その中のひとつが『モオツァルト』。勿論、書かれている内容の半分以上は?だった様な記憶があります。
posted =oyo= : 11:55 | comment (0) | trackBack (0) | 映画もみる
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