2006年12月21日
国会で青島幸男が決めたのだ!:追悼?青島幸男
と、タイトルとして引用させてもらった発言は、御存知の通り、『天才バカボン』(赤塚不二夫作)でのバカボンのパパがかましたギャグのひとつ。多分、青島幸男という存在を僕にきちんと認識させてくれたのは、恐らく、この彼の台詞でしょう。
勿論、『シャボン玉ホリデー』は観ていたし、それが終わってから始るQQタイム(『ウルトラQ』『オバケのQ太郎』)は日曜日夜のお楽しみだったし、彼のペンによるクレイジーキャッツや坂本九のヒット曲(あれとかこれね)は、その唄われている意味もわからずに、耳に馴染んでいた筈だ。とは、言っても所詮は未就学児童だから、怪獣の名前は全て暗記していても、オバQの似顔絵は描けても、大きなひらべったい耳をした眼の細いいつもニコニコしていたオジサン(って描写すればする程、バカボンのパパに似ていると改めて実感)が、金ダライでひっぱたくスラップスティックなギャグ(slapstick comedy)を幾つも書き殴っていたヒトだという認識はありませんでした。『意地悪ばあさん』の主役という認識もあったのかどうか?
えぇ〜と、当時の僕達が一番好きだったネタは、中風?で寝込んでいるハナ肇扮する父親をかいがいしく看護する娘達(演:ザ・ピーナッツ)とのギャグ。
娘達「おとっつぁん、お粥が出来たわよ」
父「いつもいつもすまないねぇ こんなとき、おっかさんが生きていてくれたらなぁ」
娘達「おとっつぁん、それはもう言わない約束でしょ」...って奴です。
きっと、ヨイヨイの手の動きと老人だろうが病人だろうが、情け容赦なく金ダライで張り倒す非情さ?が、子供心に印象的だったのでしょう。
そういう人物が参議院選挙に立候補して型破りな選挙活動を行って見事に当選してしまった、その驚きと当惑と快哉と若干の揶揄という感情ををひっくるめられたのが、この「国会で青島幸男が決めたのだ!」という台詞に込められたのではないだろうか、という認識なのだが、如何でしょう? 本来ならばロートレアモン伯爵(Le Comte de Lautreamont)の「解剖台の上のミシンとコウモリ傘の出会いのように美しい(comme la rencontre fortuite sur une table de dissection d'une machine coudre et d'un parapluie !)」にも相当する「国会」と「青島幸男」という異質なものの相克を表す言葉であってそれが笑いに転化する筈なのに、現実にそのふたつは出会ってしまったのだからしょうがない。
だから、実際には「決められない」事をあげつらう笑いになってしまう。と、同時にもし「国会」で「青島幸男」が決める事が出来たのならば、現実世界とこの世界(=バカボンの世界)は地続きになるだろうという趣旨になる。それは、己(=バカボン≒赤塚不二夫)と異質な世界に行ってしまった者への喪失感でもあるし、応援歌でもあるんだろう。
そんな気持ちを引き受けたもののひとつとして、これもまた既に故人となってしまって随分になる景山民夫のエッセイ「青島幸男へのラブレター」(『ONE FINE MESS―世間はスラップスティック』収録)があります。内容は、国会議員 青島に、たけしのTV番組へのゲスト出演依頼と、たけしとのコントを演じる交渉をしに行くと言うもの。放送作家 景山にとっては、憧れのヒトであると同時に、憧れのヒトを追い駆けて登った土俵(=TVバラエティー)にそのヒトは既にいない、しかし、そのヒトそのものに仕事上で会いに行くという相反する感情を描く。定型にハマっている気もするけれども(てかこのヒトの場合は殆どがそうなんだけれども)、いいエッセイです。
その後、1995年の都知事選に立候補して当選、その際の公約『都市博(世界都市博覧会)の中止』を実践してのすったもんだに関しては、ここでは言及しません。彼の行動がなければ、所謂"小泉改革"や改革派知事は登場し得たのだろうか?って事なんですが。
posted =oyo= : 03:45 | comment (0) | trackBack (0) | ニュースをみる
トラックバック
このエントリーのトラックバックURL:
http://www.rtm.gr.jp/mt/mt-tb.cgi/586