2007年03月11日
月光仮面は誰でしょう?
スーパーマン(Superman)はクリプトン星(Krypton)人カル=エル(Kal-El)ことクラーク・ケント(Clark Joseph Kent)で、バットマン(Batman)はブルース・ウェイン(Bruce Wayne)、スパイダーマン(Spider-Man)はオリジナルのマーベル・コミック(Marvel Comic)版ではピーター・パーカー(Peter Parker)で、原作:平井和正&作画:池上遼一コンビの日本版劇画では小森ユウだ(この日本版はすんごい作品ですよ)。
ウルトラマンはハヤタ・シンで、ウルトラセブンはモロボシ・ダンで、帰ってきたウルトラマンはえぇと郷秀樹だ。
仮面ライダー一号は本郷猛で、二号は一文字隼人で、V3は風見志郎で、それからそれから....
ものづくし(click in the world!)49.:苦悩するヒーロー像
と、所謂変身ヒーローものの主役を挙げて行くと、そのタイトルロール(つまりはヒーロー)とそのタイトルロールに変身する主人公(つまりはヒーローの正体)に関しては、殆どのものにおいては、彼らの活躍を楽しんでいる僕達はあらかじめ「知っている/知らされている」。
では、主題歌の歌詞ではないけれども、
♪月光仮面は誰でしょう♪
はぃ!、私立探偵の祝十郎です、と答えたいところだけれども、実は、その証拠はどこにもない。
そこにあるのは、様々なエピソードでかき集められ、積み重ねられた状況証拠でしかない。
と、いう事はどういう事かと言うと、ヒーローの活躍を物語るのは、一体誰なのかという事になる。
通常の変身ヒーローものの物語のサスペンスを加える一要素であり、作品によってはそれが最大のミステリーになるもの、それがヒーローの正体である。ところが、スーパーマンを嚆矢として殆どの作品において、物語の外部にいる我々はその正体をあらかじめ教えられている。その結果、我々は主人公=ヒーローの視点で、物語を解読して行く事になる(そう言えば、元祖もっこりのスーパー・ジャイアンツは背広にネクタイな戦後日本人の扮装で現れても宇宙人である事は全然隠しておりませんでした、逆にこれはこれでカルチャー・ショックですね)。
己の正体を如何に隠し続けて行くか、そして、時には「正義とはなにか」とか「己はなぜ戦っているのか」というアイデンティティ・クライシスに陥りながらも(苦悩するヒーロー像は、石ノ森章太郎作品に多そうだが)、悪を倒してゆく。
と、ここまで書いて気がついたのは、この構図は、刑事コロンボ(Columbo)に代表される様な、ミステリでの倒叙形に近いと言う事。常に主人公(倒叙形ではこのヒーロー=主人公が犯人という事になる)の視点に立って、他者が預かり知れない内面も吐露しながら、己の行動規範に従って行動し、内面と行動の不整合や行動規範を支えるものを失う事によって、その結果、殆どの作品では主人公=犯人は、悲劇的な結末を迎える(ヒーローものでは、最終回でヒーロー=主人公の構図を登場人物達に知られてしまうという事か)。
ところが、この作品は、主人公とヒーローを等号で結ぶ事を避けた結果、異なる図式になる。物語の主軸のひとつに「月光仮面の正体」はあるものの、それは事件の展開によって常に脇に寄せられて、事件が解決すれば今度は葵の御紋の印篭よろしく 一件落着とばかりに忘却させられてしまう。
何かに似ている...と、考え考えしてその結果が倒叙形に対する本格推理小説の構造だったら、すごく格好良いんだけれども、必ずしもそうはならない訳です。
実は、江戸川乱歩の怪人二十面相シリーズの構造なんですね。
posted =oyo= : 23:57 | comment (0) | trackBack (0) | たいの日記 /ニュースをみる /ものづくし (click in the world!)
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