2009年02月06日
春立ツモ冬心残レリヲ詠メル
陽延びて 灯る灯りも 白々し 我が側に未だ 迷ふ鬼居り
るい詠める
<読み>
ひのびて ともるあかりも しらじらし わがそばにまだ まようおにおり
<意味>
日が延びて、夕刻点灯する街灯も白々しい灯りとなっている。(節分が終わって立春となっても)わたしの側には、途に迷った鬼がいる。
<解説>
初句の「陽延びて」は、日が延びる、すなわち、「日照時間が延びる」という意味にも、日延べ、すなわち「延期する」という意味にも解釈出来る。
また、三句の「白々し」は、日照時間が延びた結果の街頭の様子とも解釈出来るし、その一方で、作者の側にいる「鬼」の様子を「白々しい」と描写したとも解釈出来る。
ところで、その「鬼(Oni / Ogre)」だが、節分(Setusbun / Throwing Beans At The Demon)で退治されて暦の上では立春(Lichun)、春が来た筈なのに、まだいる「鬼(Oni / Ogre)」。この「鬼(Oni / Ogre)」をどの様に解釈すべきか? 未だに厳しい寒さをもたらす冬の擬人化とも読めるし、「鬼(Oni / Ogre)」の様な心情とも読める。しかも、詞書にはご丁寧にも「冬心」とある。
だから、この様に様々な解釈の可能性を遺したその作品に添えられた写真が、まるで、ルネ・マグリット(Rene Magritte)の『光の帝国(Empire of Light, 1954)』の様だ、と敢て指摘するのも、今更な気がします。
(この項:たい)
posted =oyo= : 00:18 | comment (0) | trackBack (0) | るいの歌集(仮)
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