2013年03月14日
北帰行ヲ詠メル
駅頭で 虚無をかたるや クォ・ヴァディス 地揺れ風吹き 荒むこころは
<読み>
えきとうで きょむをかたるや くぉ・ゔぁでぃす ちゆれかぜふき すさむこころは
<意味>
駅頭で虚無を語っているのだろうか。「クォ・ヴァディス [あなたはどこに行くのか?]」と問う。大地が揺れ強風が吹き、すさんだこころは。
<解説>
第3句「クォ・ヴァディス (Quo Vadis)」とは、『ヨハネによる福音書 (Evangelium Secundum Iohannem)』第13章36節 (13-36) に登場する言葉で、宗教弾圧の難を逃れようと、ローマ (Roma) を去ろうとしている聖ペテロ (Petrus) の前に、イエス・キリスト (Jesus Christ) が顕われて、彼の向かう方向とは逆の方向、つまり、ローマ (Roma) へと向かう姿を認めて、イエス・キリスト (Jesus Christ) に対して放った発言である。そして、そのイエス・キリスト (Jesus Christ) の発言と真意を解した聖ペテロ (Petrus) は、己の意を改めて、ローマ (Roma) へと戻る。そして、その地で殉教 (Martyr) するのである。
なお、このことばを掲げる小説『クォ・ヴァディス: ネロの時代の物語 (Quo Vadis: Powiesc z czasow Nerona)』 [ヘンリク・シェンキェヴィチ (Henryk Sienkiewicz Quo vadis) 作 1896年発表] と、それを原作とする映画『クォ・ヴァディス (Quo Vadis)』 [マーヴィン・ルロイ (Mervyn LeRoy) 監督作品 1951年制作] は、このことばのメッセージを換骨奪胎したもので、むしろ、こちらの方が、有名なのかもしれない。物語の中でもこのことばは最も重要な場面で発せられるのである。[同名のマンガ『クオ・ヴァディス (Quo Vadis)』 [新谷かおる (Kaoru Shintani) 原作 佐伯かよの (Kayono Saeki) 作画 2007年より連載開始] に関しては、どの様な関係性があるのかは、解らない。]
と、長々と第3句が準拠していることばの紹介に費やしてしまったけれども、問題は、このことばをこの歌のどこに引き入れて解釈すべきかと、言う事である。
文字面だけを追えば、3.11.以降の余震の数々と、昨日の吹き荒れて各地の交通を混乱させた天候とそれに右往左往させられたヒトビトを詠み込んだモノととれる。
が、果たして、それのみで良いのだろうか、という事。
個人的には、3.11.を巡るここ数日の報道の中で折に触れられる、被災地や被災者の表情が、慮られる一方で、上句に登場する「駅頭で 虚無をかたる」モノの存在が、気になるのだ。
posted =oyo= : 17:48 | comment (0) | trackBack (0) | るいの歌集(仮)
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