2016年08月11日
尋ネ人ヲ詠メル
盆のまへ こことばかりと なく蝉は 行方知れぬも ゆゑなしとしる
るい詠める
<読み>
ぼんのまえ こことばかりと なくせみは ゆくえしれぬも ゆえなしとしる
<意味>
お盆を目前としたこの時季に、ここでなかなければ何時なくのだと謂わぬばかりになく蝉は [その尋ね人の] 行方が知れないのも、理由がない [わけではない] と知っている。
<解説>
結句「ゆゑなしとしる」は、字義通りに読んでいくと、理由がないと知っていると、なる。だが、それではどうも座りが悪い [と、感じるのは、ぼくだけだろうか]。だから敢えてここでは「ゆゑなし [せず] としる」の省略形と解してみたが、どうなのだろうか。
蝉が、ある人物の行方を知る筈もない上に、その理由も知る筈もない。と、論理的に考えてゆくと解釈に行き詰まる。
解釈の前提がそもそもおかしいのだろうか。
初句にある盆と蝉とを結びつけて考えれば、死と謂う語句も嫌が応にも浮かんでしまうが、果たして、それでいいのか [それともこれは単なるこじつけの考えすぎと謂うものなのか]。
(この項:たい)
posted =oyo= : 17:33 | comment (0) | trackBack (0) | るいの歌集(仮)
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